ibuki's Rock'n'roll Academy

Rock'n'rollに関することを徒然なるままに。

#4 Rock'n'roller列伝:The Beatles③

Chapter2 The Beatles Story

デビュー以前

 リヴァプールの学生であったジョン・レノンエルヴィス・プレスリーの「ハートブレイク・ホテル」を聞きロックンロールに目覚めギターを購入、別居していた母ジュリアにバンジョーのコードを教わり、そこからジョンの音楽への情熱は日々大きなものとなっていった。1957年にジョンはビートルズの前身となるバンド・クォリーメンを結成し、当時からギターボーカルとして活動していた。そのクォリーメンにギタリストとしてポールが加入、そしてそのポールの紹介で同じくギタリストのジョージが加入したことでビートルズの原型ができあがり、メンバーもその3人に落ち着いていった。その後3人のクォリーメンはテレビのオーディション番組などにも応募してはいたもののあまり結果は伴わなかったが、ドラマーのピート・ベストとベーシストのスチュアート・サトクリフ(彼はジョンの親友で初心者にも関わらず無理やりベースを購入させられた)をバンドに加入させ、1960年にはビートルズと改名、バックバンドとしてアーティストのスコットランドツアーに参加するなど力を伸ばしていき、ハンブルクにある歓楽街への遠征という大きなチャンスをも手にした。全くの初心者からから加入したスチュアートの演奏はメンバーからの非難を浴びたがジョンの親友であったがために解雇はされなかった。しかし芸術に興味があった彼は体調も芳しくなかったことも鑑みて、多忙なビートルズの活動からは身を引くこととなり、ちょうどギターを破損していたポールはベーシストに転向、4人体制のビートルズが誕生した。リヴァプールのキャバーンクラブなどで活動をしていたビートルズのステージは次第に人気を獲得していき、その人気に目を付けたNEMSというレコード店の若い経営者、ブライアン・エプスタインはビートルズとマネジメント契約を結び、彼らにスーツを与え、ポップミュージックとして売れるための体裁を整えさせた。そしてドラマーを演奏に不安のあったピートを解雇、リヴァプール一番のドラマーとも言われたリンゴに交代させた。そしてデッカというレコード会社のオーディションには落ちたものの別のレコード会社EMIのパーロフォンというレーベルの所属が決まり、デビューが決まった。

初期(デビューから5thアルバム「HELP!」まで)

 1962年、シングル「Love me do」でデビューしたビートルズは1963年2ndシングル「Please, Please Me」をヒットさせ、1stアルバムの制作することとなった。アルバム制作にあたり、ブライアンとプロデューサーのジョージ・マーティンの2人はビートルズのライブの臨場感をレコードにも反映させたいと思い、キャバーンクラブでの録音も考えたが技術上の問題で断念、一発録り(通常レコーディングは何回かに分けて音を重ねて行う)という手法が取られ、ビートルズの1stアルバム「Please, Please Me」はなんとわずか1日で制作された(そのせいでメンバーの喉はとてつもないダメージを受けた)。収録曲14曲のうち8曲がオリジナル曲という「デビューはカバーから」というのが常識であった当時としては信じられないようなアルバムが完成し、そのアルバムはイギリスのチャートで1位を獲得、これがビートルズの快進撃のはじまりであった。メンバーの「ファンが二重に同じ曲を買ってしまわぬように」という意向により2ndアルバムからはアルバムにシングル曲を原則収録しない方針が取られ、現在からしても信じられないような方針にも関わらずビートルズはヒットを連発した。1stアルバムは30週連続1位、その座を奪ったのは2ndアルバム「With the Beatles」であり、同時期に発売されたシングル「From ME To You」「She Loves You」「I Want To Hold Your Hand」もNo.1ヒットを記録、1964年にはその人気絶頂の彼らを出演させた映画が公開された。ジョンの作曲による主題歌「A Hard Day's Night」からそのまま映画も「A Hard Day's Night」と名づけられ、映画のサウンドトラックも兼ねた同名のアルバムは初の全曲オリジナルで、またもや1位を記録し映画も大ヒットした(この映画は後に「ハリーポッター」の映画シリーズにも影響を与えた)。時を同じくして1964年にはアメリカをはじめ世界各国に進出を果たし、「I Want To Hold Your Hand」がアメリカで1位を獲得、イギリスのバンドがアメリカで人気を博す「ブリティッシュインヴェイジョン(イギリスの侵略)」と呼ばれるムーヴメントの先駆けとなり、同年4月にはチャートの1位から5位を独占するというとてつもない記録を残した。映画「A Hard Day's Night」は世界中で公開され、それまで見ることのできなかった「動くビートルズ」に若者たちが熱狂した。その人気から彼らはワールドツアーを行い、多忙な日々を過ごしており、次のアルバム「Beatles For Sale」は再びカバーとオリジナルが半分ずつに戻ったが、それでもクオリティは非常に高く現在でも評価されており、勿論のことながらチャートでは1位を獲得した。シングルも何か出せば1位を獲得するような状況で、その勢いは留まることを知らなかったず、映画「A Hard Day's Night」の成功により2作目の映画「HELP!」が企画され1965年に公開、映画のサウンドトラックも兼ねた同名アルバムはまたもや大ヒットした。特筆すべきはアルバム中の1曲に過ぎなかった「Yesterday」が現在では世界で一番カバーされた曲となった事に象徴されるように非常にクオリティの高いアルバムであり、彼らがクリエイターとしての才能を次々に開花させていたことがわかるということである。しかし彼らは年々激しさを増す「ビートルズ現象」に嫌気がさしてきており、アイドル的な存在であることに疲れていた。映画の主題歌である「HELP!」も現状から助けだしてほしいとうジョンの悲痛な叫びであるといわれ、その後のビートルズの活動にこのことは大きな影響を与えることとなる。

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